樫織島設定


空想電車シリーズの世界には、樫織島という島があります。

詳細設定は詳しく決まっていませんが、以前書いた設定をここで公開します。

※正式な設定ではありませんのでご注意ください。


樫織島は、2007年に日本に返還された(空想の)島です。四国の結構南にあり、大きさは四国とそれほど変わりません。一方で人口は四国より多く、最も人口が多い景来(けいき)都市圏の人口は700万人となっています。

今年で返還10周年を迎えた樫織島。ここ10年で様々なことが変わっていきました。今回は鉄道を中心に、車やテレビなど日常的に使うものにもスポットをあててみました。2007年からの10年間でどんなところが変わっていったかを取り上げます。

返還時の裏話「テレビ編」

テレビライセンス

 かつて樫織島には「テレビライセンス」というものがありました。これはテレビチューナーがあるだけでなく、PC、カーナビなど、とにかく何らかの方法でテレビが見られる機器があるだけで支払わなければいけないもので、カラー放送のライセンスと白黒放送のライセンスに分かれていたことも特徴でした。

 当時の樫織島では、すべてのテレビ(放送が見られる機器も含む)を販売する業者に対し、テレビライセンスに関する手続きを行うことを義務付けており、これに違反すると大きな罰金が科せられたようです。罰金は業者だけでなく支払いを滞納したうえ支払い勧告を一定期間無視した人も対象となりました。

デジタル放送

 樫織島では、1990年にデジタル放送が開始され、1998年にデジタル放送への移行が開始されました。なおこの際に放送方式をヨーロッパで主流の方式としたため、後に日本で開発され採用された方式と異なってしまいました。

 2005年に国民投票で日本への返還が決まった樫織ですが、日本返還が決まったその日から樫織島内各局では「日本式デジタル放送対応対策室」が設けられ結構大変な思いをしたそうです。なんといっても使い始めてから10年も経っていない「最新(当時)」の機器を全部取り換え、日本式に改めないといけなかったことは相当悩みの種だったようで、「日本になってからの番組はなんかつまらない(低予算にせざるを得なかったため)」という視聴者からの電話やネット上の書き込みが一時期かなり多くなってしまいました。

 大変な思いをしたのは、テレビ局だけではなくテレビを見る一般市民も同じです。日本式デジタル放送に対応した機器を購入しなければ2007年4月1日以降テレビ番組を見ることができなくなったため、日本方式の電波を変換し、ヨーロッパ規格のテレビ関係機器でも見られるようにする機器が急ピッチで製造されたとか。

また、2007年の4月1日にならないと日本方式で放送されなかったため、同年4月ごろまでは日本方式受信用アンテナとヨーロッパ方式受信用アンテナが仲良く屋根で並んでいる光景がよく見られました。なお、この際できるだけ混乱を防ぐために日本返還後アナログ放送を行わないことが決まり、かなり早い段階で完全デジタル化が達成されました。

テレビ局

 樫織には5つ(当時)のテレビ局があり、そのすべてが島内最大の都市景来に島内の拠点を設けていました。各テレビ局が返還時に放送方式の違いから大変な思いをしたのは上記の通りですが、各局とも本島に拠点があったため、日本返還時に分離されることとなりました。

 日本で言う「民放」に相当するテレビ局は3つしかなく、民放同士で「局の獲得争い」が繰り広げられていました。ただ、中には複数のテレビ局の番組を同じ時間分放送するという中立の立場をとったテレビ局もあり、永京都市圏のテレビ表とはかなり異なるテレビ表を見ることができました(2017年2局増えテレビ表は永京地区と大して変わらなくなりました)。

 日本返還後樫織島民が何に驚いたかというと、今まで多くの局で局名がチャンネル名だけだったのに対し、「樫織放送」「テレビ樫織」「テレビ景来」など地名が付いた局名になったことです。各局が「かしてれ」など独自の愛称を制定し2017年現在ではすっかり定着しましたが、返還当時は「○チャンネル」などのようにテレビ局の名前ではなくチャンネル数字で呼ぶ人が多かったようです(もっとも、永京都市圏もチャンネル数字で呼ぶ人が結構いるというのは秘密)。

 さて、樫織のテレビ局が制作する番組は、放送方式変更時にお金を使った都合でしばらくの間低予算番組が多くなっていました。上記の通り「日本になってからの番組はつまらない」という声が2009年になると一層強くなり、この頃から樫織のテレビ局が制作する番組が減り、ネットワークの中心的存在となる永京のテレビ局で制作された番組が増えていきます。地元の番組関係者からは「樫織を見捨てる気か」という反発意見が多かったようですが、手っ取り早くテレビ番組の質を高め視聴率を高くするためには永京制作の番組をそのまま流した方が効率的であることは番組関係者も理解しており、2010年後半になると反発も少なくなってきました。

 とはいえ、日本返還前の雰囲気が残っていた樫織島内制作番組が減ったことに対する寂しさや、永京のテレビ局が樫織の制作チームが関わる番組を放送すると、次第に樫織島内制作番組が見直しされるようになりました。このような流れになったのは2012年夏ごろ。返還前以上の予算で制作される番組も登場し、ついに樫織島内制作の番組がゴールデンタイムの永京で流れるようになりました。


※当ページの内容はフィクションです。

当ページ最終更新日 2018年04月30日

当ページ公開開始日 2018年04月30日