仙豊鉄道が両得電鉄に統合された経緯

 2002年、仙豊鉄道は両得電鉄と統合し、「両得電鉄仙豊支社」として再出発しました。仙豊支社の愛称だった「仙豊電車」は、ブランド名として残されましたが、「仙豊鉄道」という名称は消滅してしまいました。

 そもそも仙豊鉄道は、仙豊県内を代表する大手鉄道。1996年までは野球チームも保有しており、全国的にも名前が知られていました。そんな仙豊鉄道が、同じく大手鉄道である両得電鉄に統合されるというニュースは、地元民だけでなく、全国的にも大きなニュースとなりました。

 しかし、なぜ仙豊鉄道は両得電鉄と統合したのでしょうか。それには、バブル期に身の丈を超えた開発を行い、バブル崩壊後にそれらが大きな負担となったことが関係しています。また、高コスト体質が続いたり、経費削減が組合の反発によりうまく行かなかったりということも、大きな理由の一つです。

オイルショックがきっかけ

 1973年のオイルショックは、仙豊鉄道にも大きな影響を与えました。燃料価格の高騰により、自家用車で通勤していた人が電車を利用するようになり、利用客が増加。それに伴い車両更新計画や駅の改修計画などを前倒しして行うことになりました。

 1978年頃になると駅の改修計画がある程度ひと段落し、その余裕を生かして沿線の不動産開発を進め始めます。その代表例が各主要駅に建設された駅ビル。八田山都市圏だけでなく、見旗や主坂などの主要都市、さらに作登や仙豊山口などと言ったローカル線区間の主要駅にも駅ビルが建設され、その中に入居していた「仙豊ストア」は仙豊県民に欠かせない存在でした。

 また、仲山や和泉沢の温泉リゾート開発、高初線沿線の戸巻や高良、初浦などの海水浴場開発、仙豊本線権文周辺への大規模遊園地開発…… などなど、多数の不動産開発を実施。ちょうどバブル経済が始まったころに行われ、バブル期の仙豊鉄道はすさまじい勢いで不動産開発を行っていたのです。

バブルの崩壊と重荷になった施設群

 バブル経済が終わると、数多くの不動産施設を建設する際に借りた借金が大きな重荷となっていきます。また施設そのものの利用客も減少し、赤字に苦しむ施設も数多く存在しました。その赤字は本業の鉄道にも大きな影響を与えていたことから、仙豊鉄道では大規模な経費削減を行うことになったのです。

 まず手が付けられたのは、赤字だった施設の売却や閉鎖。その後、黒字だった設備も売却され、さらに仙豊鉄道の看板を背負っていた野球チームすら売却されてしまいました。

 怒涛の勢いで行われる経費削減に、仙豊鉄道の組合は猛反発。ある程度不動産売却が完了したら、社員数削減や給料の減給も行われる予定だったようですが、これを社員が許すわけがありませんでした……

 1998年、1999年はストライキが多発し、利用客が少ない区間だけでなく、稼ぎ頭の八田山都市圏区間にも影響が出ました。ちょうどNTR今北の仙豊支社が増発を行ったり、道路事情が徐々に改善されてきたこともあり、利用客は減少。ついに自力で経営改善をするのが厳しい状況に追い込まれてしまったのです。

 そこに救いの手を差し伸べたのが両得電鉄。その両得電鉄も初めから仙豊鉄道との統合を行う予定ではなく、「経営再建のお手伝いをするだけ」というスタンスだったようです。それもそのはず、仙豊鉄道の財務状況は悪く、統合をしてしまったら両得電鉄にも影響が出てしまうからでした。

 2000年、仙豊鉄道は3年間の経営改善計画を発表。とはいえ、売れる設備は売ってしまったし、社員数削減もうまく行きそうにない…… せめてできることをということで、列車の長さを短くしてみたり、多少減便をしてみたりしましたが、混雑が悪化し乗客からは不評でした。

 翌2001年。両得電鉄は仙豊鉄道を統合し、効率的な運行ができるようにすると発表しました。仙豊鉄道は両得電鉄との相互直通運転を盛んに行っていたことから、統合効果は大きいと判断された一方、仙豊県を代表する鉄道が両得電鉄の一部になることに対する反発も大きいものでした。

 しかし、言い換えれば自力での統合が難しい以上、両得電鉄など他の鉄道の力を借りなければ、ローカル線どころか八田山都市圏の路線すら維持できなくなるということでした。

統合後

 2002年に仙豊鉄道は「両得電鉄仙豊支社」として再出発しました。沿線住民などに配慮し、ブランド名として「仙豊電車」という名称は残され、現在(2018年)もアナウンスや案内などで用いられています。

 2003年には新型車両10系4000番台が登場。システムの一部を両得電鉄津喜支社に導入された10系0番台と共通化していますが、片側3ドアの車体は引き継がれたほか、インテリア、エクステリアデザインもオリジナルのものとされました。

 2009年にはSR1系がデビュー。特急列車の一部を通常の乗車券だけで利用できるようにしたことで、より気軽に特急列車を利用できるようになりました。

 現在では両得電鉄津喜支社などの車両も多く転入し、新型車両とあわせて旧型車両の置き換えが進みました。かつて減便された路線は増発により元の水準あるいはそれ以上の水準になったり、短くなった編成長さも概ね元通りの長さに戻され、1990年代初頭のサービスレベルに戻っています。

 両得電鉄になっても「仙豊電車」という愛称や、独自設計の車両が消えることなく、そして新たに設計されています。それは仙豊鉄道が築き上げてきたブランドが、仙豊県民やほかの地方の人々にも残っていたからだと思うのです。


※当ページの内容はフィクションです。

当ページ最終更新日 2019年05月03日

当ページ公開開始日 2019年05月03日