光鐘線の歴史

光鐘線の駅一覧、車両イラストは路線ページの「光鐘線」をご覧ください。

2017年4月までは14m車両「600形」も活躍していた。

本数が少ない汽車に対抗

 津鐘電鉄が計画されたのは、1915年頃のことである。大綱(おおつな)街道沿いには外郷線が開通し、光鐘までの鉄道は1900年に開通している。しかし、光鐘街道沿いには鉄道が開通しておらず、さらに光鐘に行く汽車は本数が少なくて不便だった。そこで光鐘街道沿いに電気鉄道を敷設し、本数を多くすることで不便を解消することを目的に「津鐘電気鉄道」が計画された。

 「津鐘電気鉄道」敷設にあたり、すでに開業していた電気軌道・鉄道への視察が行われた。視察の結果線路幅と車体規格が決まり、線路幅は京得電気軌道への乗り入れに備え1064mm、車体は長さを約15m、幅を約2.7mとした。

 1919年に建設許可が下り、用地買収を開始。光鐘街道沿いはのどかな田園風景が広がっており、交通が不便だったので、沿線住民は快く用地を提供したとされる。そのおかげもあり19213月には都~津喜中野間が開業。その後1922年に津喜中野~光鐘、1923年に東津喜~都間が開業して計画されたすべての区間が開業した。

 汽車より多い運行本数は大好評だったが、1923年当時すべての車両がロングシートだったため、1924年の急行運行に備えてクロスシート車を登場させている。19242月にデハ100形を改造したデハ150形が登場。翌年には1両増備された。

市電乗り入れ計画

 1925年ダイヤ改正以降は車両・ダイヤともに特別な変化はなかったが、1935年に津喜市電への直通乗り入れ計画がスタートする。この計画は、東津喜から津喜城までの区間に乗り入れるというもの。1938年に乗り入れ試験が行われ、1939年より開始すると津喜日報が報じた。しかし、諸事情により乗り入れは行われなかった。

 1942年になると、戦時下の鉄道統合政策により「両得鉄軌道津鐘線」となった。この時期には当時の京得本線(現両得本線)との相互直通運転が行われていたが、1948年に中止されている。

 1948年には両得鉄軌道から独立した。両得鉄軌道津鐘線のままであれば、両得電鉄の一路線として永京方面への直通列車が運行されることもあったかもしれない。だが、津鐘電気鉄道は「沿線住民のための鉄道」であり、両得の路線になる、つまり「他人のものになる」のが嫌だったようだ。

戦争による被害を大きく受けた両得に対し、車庫が田舎にあった津鐘電気鉄道はあまり被害を受けなかった。そのためほぼ戦前のままのダイヤが1952年時点で維持されていた。なお同年、戦前と同じダイヤにするためデハ200形が3両増備されている。

1955年になると、当時計画中だった津喜高架市電(高速市電)への直通に備えて車体の長さを14.8mとした車両「デハ500形」を導入した。

デハ500形は2両編成で、原則として2編成連結の4両編成で運行された。1958年に津喜高速市電への直通乗り入れが始まると、直接市街地や観光名所・商店街へアクセスできることから増発を求める意見が多くなり、1959年にはデハ500形が増備される。一方、老朽化が進んでいたデハ100・デハ150形は1961年に引退した。

1950年代後半頃からは沿線の開発が進み始め、1962年時点では激しく混雑する列車もあった。そこで、混雑緩和のため1963年両開きドアを採用したデハ550形が登場。両開きドアはその後導入される車両にも採用され、2017年現在すべての車両が両開きドアを採用している。

新しい名前で次のステップへ

1968年には「津鐘電気鉄道」から「津鐘電鉄」に名前が改められた。津鐘電鉄では日中の運行本数見直しとさらなる車両増備が行われたが、この頃の津鐘電鉄にはクロスシート車両が在籍していなかった。効率を重視していたため、看板列車の急行も他の列車と同じ車両で運行されていたのだ。

1972年、急行専用車両を1975年頃めどに導入することが発表される。そして1975年、デハ550形クロスシート車が登場。早速日中の急行を中心に運行されるが、ラッシュ時はクロスシートであるがゆえに混雑に対応できず、車庫に留置されていた。

1978年になると津喜みなとエリア開発のため津喜みなと鉄道が計画されたが、津鐘電鉄では津喜みなと鉄道への直通乗り入れを行うことを検討し始める。津喜みなと鉄道は両得津古線との相互直通乗り入れを想定し車体長さ20m、幅2.8mの車両を導入することにしていた。しかし津鐘電鉄には長さ20m、幅2.8mの車両が入線できないため、協議の結果長さ14m、幅2.5mの車両も入線できるようにすることで合意した。

1977年に導入された600形は新しいデザインを採用して登場。従来500550形が4両編成を基本としていたのに対し、5両編成を基本とすることにより2編成連結で10両編成とすることが可能となった。500550形の中間にも組み込まれ、1985年までに多くの編成が5両編成を基本とするようになった。

1980年にはカルダン駆動の抵抗制御を採用した編成が登場。車両番号は650番台となっているが、あくまでも「60050番台」という扱いとなっている。

今後の標準車両になるかと思われた600形だったが、1985年で導入終了。1990年からは長さ20m、幅2.8mの津喜みなと鉄道標準規格車両700形がデビューすることとなる。

大英断

 1986年、津鐘電鉄は大きな決断を下した。長さ20m、幅2.8mの大型車両を導入することを決めたのだ。導入理由は「線内から津喜高速市電へ直通利用する乗客が減っており、輸送力増強も限界に近付いていることから、津喜高速市電直通を廃止し大型車両を導入することで諸問題を解決するため」である。

 1989年までに駅などの設備が大型車両対応化され、大型車対応の新しい車両基地が津喜中野に建設された。その後、両得電鉄から20系を借りて試運転を行った後、700形が搬入され改めて試運転された。

 700形がある程度増備された1994年には津喜新線津喜~東津喜間が開通し、津喜みなと鉄道への直通乗り入れが開始された。その一方で津喜駅前線()津喜~東津喜間は廃止され、ラッシュ時の日常光景となっていた東津喜駅での連結・切り離し作業を見ることができなくなってしまった。

両得電鉄との合併

 2010年。津鐘電鉄は2015年をめどに両得電鉄と合併する計画を発表した。自治体合併の次に流行った合併として鉄道合併が取り上げられることがあるが、その流れを受けた計画だった。

 結局両得電鉄との合併は2017年に遅れてしまったが、その合併に備えてベイコネクトとの相互直通計画が始動している。ベイコネクトとの相互直通計画は、津鐘電鉄が両得電鉄に合併されることと、光鐘空港が開港することに備えたものだ。津喜~新加穂間の線路を新線に移転し、津喜駅南口地下に設けられた新しい津喜駅ホームからベイコネクトに乗り入れるルートとされており、2017年4月に開業した。

 一方、従来の津喜~新加穂間は一部がアーバンループの線路に転用されている。アーバンループ転用区間から旧津鐘電鉄区間への移動は、新たに「加穂の杜駅」を設けることで乗り換えを1回することにより可能とした。

 その裏では、新区間のホームドアに対応できない14.8m車が2017年3月に引退させるための車両導入が急ピッチで行われていた。本来であれば合併に備え10系30番台と同じ設計の車両を導入するべきだが、合併後も旧津鐘電鉄のメンバーでメンテナンスを行う関係で、10系700番台(津鐘電鉄800形)が導入されている。

 津鐘電鉄が「両得光鐘線」となったことの象徴は、なんといっても両得の車両が走る光景だろう。70系や80系・10系などが走る光景は、今や日常的なものである。


※当ページの内容はフィクションです。

当ページ最終更新日 2018年02月23日

当ページ公開日 2017年07月5日