納香線

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 人口98万人の春望市は、八田山都市圏の衛星都市として重要な役割を果たしています。八田山都心からは電車で40分ほど。しかし山を隔てているという地理的条件から、仙豊鉄道(現在の八田山線)が八田山まで開通するまで八田山との関わりは薄かったのです。

 今でも八田山都市圏内では昼夜の人口の差が比較的少なく、春望に本社を構える企業も数多くあります。豊かな水に恵まれた春望は、工場を構えるのに適した場所でした。内陸部にあるが故に、港からは遠い春望。それでも、鉄道により港へ物資を運ぶことはできますし、便利な鉄道と高速道路があります。

 さて、工場が増えていった1960年代頃、春望ではある問題を抱えていました。それは「住宅問題」です。「家がなければ作ればいい」ということで、家が次々と建設されていったところまでは良かったのですが、無秩序に開発が進められてしまいました。おかげで利便性が高い当時の仙豊本線は大混雑。道路を走る路面電車やバスも、渋滞に巻き込まれ進めません。

 そこで、春望市の北を走るローカル線「納香線」の沿線に目をつけたのが春望市と仙豊県でした。この納香線は利用客がそれほど多くなく、電車の本数も少なめでした。そのことから沿線の開発は仙豊本線に比べて進んでおらず、森や畑を含む広大な土地を仙豊県が買収。そして「春望ニュータウン」として大開発されることになったのです。

 開発されることになった納香線は、まず線路の線形改良を行います。従来はカーブが若干多かったところを、直線的なルートに変更。さらに踏切をなくすため、掘り割りや高架区間を増やしました。一部が地下に設けられている駅もあります。これらは1970年代から1980年代後半にかけて行われました。

 1990年代になると土地の開発が一段落。沿線に次々と住宅が建設されて…… いませんでした。全く家が建たなかったというわけではないのですが、バブル崩壊により想定よりも住宅需要が減ってしまったのです。また、八田山都心への直通電車が少ない(これは今もです)ことから、多くの人々は仙豊本線沿線に家を建てていきました。

 仙豊鉄道としては、せっかく仙豊県と協力し、多くのお金を費やして線形改良したのにその資金を回収できませんでした。おかげで路線は大赤字。1990年代の仙豊鉄道は不動産開発の失敗などで経営難に陥っており、かなり苦しい状況だったのです。

2002年。仙豊県民の足として親しまれていた仙豊鉄道は、両得電鉄と統合しました。これにより「両得電鉄仙豊支社」の路線となった納香線。廃線にするという話すらありましたが、両得電鉄と統合する際の「赤字路線も含めすべての路線を維持する」という宣言に基づき、2019年現在も引き続き運行されています。

 さて、2019年の納香線はどのような雰囲気なのでしょうか。まずはダイヤ。これは1990年代と変わっておらず、相変わらず20分間隔で運行されています。電車の長さは4両か6両。ラッシュ時の4両編成は混雑しますが、それでも八田山線に比べてまだ余裕があります。

 線路などの設備を見ると、多くの区間で複線分の用地があるにもかかわらず、全線が単線となっています。計画では複線にする予定だったようですが、いつの間にか中止されてしまいました。ホームは長さが8両分あります。しかし、8両編成が来たことはありません……


※当ページの内容はフィクションです。

当ページ最終更新日 2019年08月31日

当ページ公開開始日 2019年08月31日