70系0番台

 第一次オイルショックから5年。1978年のことである。1972年に運行を開始した60系特急電車は、当時最新鋭の技術だった界磁チョッパ制御とワンハンドルマスコンを採用した。ワンハンドルマスコンの操作性に関しては、当初「慣れない」ということで不評ではあったようだが、数年経てばその声を聴かなくなり、むしろ「通勤電車にも導入してみたらどうか」という意見すらあった。

 

 そう思っていたのは、何も乗務員だけではない。両得電鉄車両部の設計担当だって、そう思っていた。60系の設計も担当した、当時の車両部の中では割と若い「飯倉 旭(いいぐら あさひ)」は、新しもので知られていた。60系が界磁チョッパ制御などの技術を採用した理由はいくつかあるが、その理由の一つで「飯倉が新しものだったから」というのが挙げられるぐらいである。

 

 さて、70系は60系の設計を基に、通勤電車向けにアレンジしたものとすることはすんなり決まった。この時点では、誰もが「通勤電車20系50系の車体と、60系の足回りを組み合わせた姿」それを想像していた。

 

 しかし、実際に登場したその電車は、飯倉が考えていた「理想」が反映された、なかなか面白い電車だったのだ。

これがそのスタイリングである。車体設計は50系などをベースとしているが、細部を観察すると「違い」がいくつかある。

 

 まず、電車に興味がなさそうなご婦人が、初めてこの電車に乗った時に気が付くこと。それは「戸袋窓がない」ということである。今でこそ戸袋窓がない電車のほうが多いが、当時の主力電車、20系や50系には戸袋窓があった。

 

 戸袋窓というのは、車内に外の光を取り入れるのに有用である。当時はお昼の明るい時間帯、車内の照明を切って節電していたほか、単純に眺めが良くなるということもあり採用されていた。

 

 しかし戸袋窓は無くても問題ない。ドア開閉エンジン配置場所の都合で戸袋窓を採用しなかった京香電鉄の電車や、軽量化のために潔く省いた車両もあった。そう、戸袋窓を省けば、車体が軽量化できる。飯倉はこれに注目した。

 

 70系を開発する際にテーマとなったのは、「消費電力量削減」であった。当時の両得電鉄は毎年電車を増発したり、増結したりで消費電力量が増えていた。しかも、鉄道というのはラッシュ時と昼とで電車の本数に大きな差がある。「時間帯によって電力消費量に大きな差が出る」というのは、どうやら電力会社に好かれないらしい。

 

 別に「好きじゃない」って言われる程度ならいいが、電気代を払う際、いったい担当者は聖徳太子を何回目にしたのだろう。そうそう、当時は諭吉じゃなかった。もちろん、渋沢栄一でもない。

 

 60系で採用された界磁チョッパ制御は、従来の抵抗制御に比べて消費電力量を削減できるほか、抵抗器からの放熱を減らすことができる。津喜駅周辺などの地下区間や、乗り入れ先の地下鉄では抵抗器からの放熱が問題となっていたことから、これを減らせば乗客サービスの向上にもなる。ちなみに、当時は電動車の床でもんじゃ焼きを作れるという噂があったらしい。

 

 この界磁チョッパ制御に、戸袋窓を省いてダイエットに成功した車体を組み合わせれば、50系の車体と組み合わせた時に比べ、より消費電力量を減らすことができる。ということで、実車は戸袋窓がない設計となったのだ。そうそう、連結面の窓は残されている。これは車庫で車両を入れ替える際にあったほうが便利という理由らしい。

 

 今度は栄養ドリンクのヘビーユーザー、サラリーマンの健太郎さんが気になったこと。「なんでドアがシルバーなの??」 当時は「シルバーシート(今でいう優先席に近い)」が両得電鉄でも導入され、その存在が定着してきた時期だった。じゃあシルバーシートがあるからドアもシルバーにしたの??

 

 そんなわけあるか。ドアがシルバーじゃない20系や50系にもシルバーシートがあった。では、本当の理由というのは何かというと、「ドアの塗装を省いた」ということらしい。ドアというのは、1両の片側に4カ所、両側で8カ所ある。でも、70系のドアというのは両開きドアなので、1両当たり16枚のドアがあるわけだ。それが10両編成になれば160枚にもなる。

 

 このドアに対する塗装を省けば、塗装工場が多少は楽になる。ということで、ステンレスそのものの色を生かした、シルバーのドアが採用されたのだった。

 

 しかし、カメラは一流の物使っているのに、服が今にも破けそうな誰かが「銀色のドアでは編成美が崩れる」なんていちゃもんを付けた。それに対して両得の重鎮も賛同しちゃったもんだから、1990年ぐらいになるとドアにも塗装され、側面に関しては50系とあまり見分けがつかなくなった。

アレがない

 飯倉の口癖は「アレがない」である。飯倉というのは、好奇心旺盛で新しもの好きなのはいいのだが、忘れっぽいところがあった。それは会議の資料であったり、タバコに火をつけるライターであったり、そして何より「眼鏡をかけている」ということを忘れていた。そう、おでこに眼鏡をかけているのに、「眼鏡がない」っていうアレである。

 

 彼が設計にかかわった70系には、「アレ」がない。

 

 「アレ」というのは、通勤電車に欠かせないもの。「つり革」である。そう、飯倉はつり革を省き、その代わりに握りパイプを増設した。こうすることで、つり革の汚れを取るため、一個一個を丁寧に拭いていく作業を省ける。

 

 しかし、つり革がないというのは乗客に受け入れがたいことであったようだ。飯倉は「メンテナンス性と車内の見栄えを両立させた素晴らしい設計」なんて言って自慢していたけれど、世の中理屈だけではやっていけない。1979年に登場した二次車からはつり革が設置され、1980年には初期車にもつり革が取り付けられた。飯倉の「理屈」が、現実に負けた瞬間であった。

現在の70系0番台。一部編成にはスカートが取り付けられた。


※当ページの内容はフィクションです。

当ページ最終更新日 2019年06月15日

当ページ公開開始日 2019年06月15日