両得 70系通勤電車

「70系300番台」は別ページで紹介しています。

このページのデータは、2018年2月28日時点のものです。

0番台・50番台初期車

架空鉄道 両得電鉄70系

 衣昇線に乗るとたまに来る水色の電車。その中で、黄色ライトと赤いライトが二つ横に並んでいる電車が70系である。実は、70系の仲間はそれだけではなく、ステンレス製の車両も存在している。

  1978年。第一次オイルショックから5年経った時の事である。オイルショックにより鉄道利用者数は増加傾向にあったが、その一方で増発や増結により両得電鉄全体での消費電力量は毎年増加。普及し始めていた電車の冷房も、消費電力量を増やす原因になった。

 オイルショックにより見直された環境問題と、両得電鉄自体が新線建設や設備改良により出費が多く、節約をしたかったという事情が70系を登場させた理由である。

 

「シルバー・ドアは、省エネ電車の象徴です」

 70系1次車は、1978年10月にデビューした。登場時のポスターには「シルバー・ドアは、省エネ電車の象徴です」と書かれている。これは、経費削減のため塗装をしなかったステンレス製ドアを採用したためである。シルバーのドアは、従来の電車(20系や50系)と70系を見分ける最大のポイントだった。

 1次車で特筆すべき点は、内装であろう。基本的な配色は20系や50系と全く変わりないが、ドア脇の窓が無くなっていたり、つり革の代わりに線路方向に伸びた握りパイプが設置されていたりと、所々当時の両得電車としては珍しいデザインが採用されていた。

 ドア脇の窓を廃止した理由は、車体構造を簡素化し、少しでも車体を軽量化するためである。最初は否定意見もあったようだが、70系最後の導入年となった1987年までにはすっかり日常的な光景となり、翌年登場した80系通勤型電車以降の電車にもドア脇の窓はない。

 一方で、すぐ廃れた試みとしては、つり革の代わりに設置された握りパイプがある。つり革はパイプとの接合面と乗客が握る吊り手部分が離れており、加速時や減速時の衝撃、あるいは電車の揺れにより右へ左へと揺れることがあった。当然、つり革が揺れれば乗客が不安定になる。そこで、つり革をパイプに置き換えるというデザインが採用された。

 試乗会での評判は上々だったが、一方多くの乗客は、つり革がないことに対して不満を抱いていた。中には「素晴らしいデザインである」と高く評価していた人もいたようだが、ないことに対して違和感を覚えていた人が多かったなどの理由で、翌年投入された車両からつり革が復活している(1次車も後に改造された)。

 

電力消費量低下。メンテナンス効率悪化。

 70系が登場して間もない頃、車両基地の中である言葉が流行った。

 「電力消費量低下。メンテナンス効率悪化」

 この言葉は、70系の電動機に対する不満を象徴する言葉だ。70系の制御方式は界磁チョッパ制御。省エネ高価が高いことで知られていた「電気子チョッパ制御」の装置に比べて安く、コストパフォーマンスが良いことから多くの鉄道で採用された制御方式である。

 しかし、この界磁チョッパ制御には、ある難点があった。メンテナンスに手間がかかるのだ。これはどういうことかというと、界磁チョッパ制御とセットで採用された電動機である複巻整流子電動機は、構造が複雑でメンテナンスに手間がかかるうえ、重量も増加しているのである。

 長い間車両基地内では、構造が複雑な70系の電動機に愚痴を言いつつ、丁寧に整備する整備士がてきぱきと動く光景が見られた。一方、積年の恨みにより、50番台は2004年から制御方式をVVVFインバータ制御に変更した(一部車両除く)。月日が流れようが、複巻整流子電動機のメンテナンスが面倒くさいことに変わりはないのである。

 

電力消費量低下。運輸指令スタミナ消費量上昇。

 70系は電気指令ブレーキという、両得電鉄の通勤電車として初めて採用するブレーキシステムを採用した。一方、ブレーキシステムを変更したということは、20系や50系などの従来から在籍している通勤電車と連結できないということでもある。そのため、70系がデビューしてから6年間は、70系専用の運用が存在していた。

 これに悩まされたのが運輸指令である。普段は特に問題ないが、ダイヤが乱れた時に同じ駅の20系と連結できず、柔軟なダイヤ回復作戦の妨げになっていた。裏話として、20系と50系も性能が違うので連結できず、運輸指令だけでなく運転士も「通勤電車何種類も増やさないでよ」とぼやいていたそうである。

 

働き者パワー君。

 「パワー君」といっても、キャラクターの事ではない。通勤電車の事である。1997年から1999年にかけて、70系50番台の一部編成を対象に組み換えを行った。その際、先頭車両が6両あまり、それらの車両を活用するため登場したのが「パワー君」こと、70系900番台なのだ。

 パワー君は制御方式を80系と同じ装置によるVVVFインバータ制御とした。また、6両編成すべてが電動車となり、当時両得電鉄に在籍していた機関車に匹敵するパワーを誇る電車に改造されたのである。当時の工場長曰く、改造時、車体に補強を入れたりするのが面倒だったという。

 パワー君が登場した目的は、当時車両けん引に活躍していた機関車の置き換えだ。機関車の運転は通勤電車に比べて高い技術が必要となる。また、運転できる人だけでなく、メンテナンスができる人も限られていた。年々その人数は減っていき、このまま維持するのは限界があるという事で、通勤電車への置き換えとなったのだ。

 パワー君はその目的通り、新型車両や故障車両などの牽引に大活躍したほか、通勤電車としても大活躍する万能選手となった。しかし、2010年頃から新型車両の牽引機会が激減し、かといって車両故障も頻繁にあるわけではないので、機関車役を務めることはほぼなくなった。2013年までは北萩線をメインに活躍したが、6両編成の運用見直しにより浦椿線に転属。2017年には4両に短縮され再び北萩線へ戻っている。

 

「シルバー・ボディは快適な電車の象徴です」

 どこかで聞き覚えのあるフレーズだが、1983年に登場した50番台を紹介するポスターに書かれていたという。今度はドアだけでなく車体までステンレスとなり、水色の車体から一転、銀色の車体となった。アメリカで活躍する地下鉄電車などを知る鉄道好きは「アメリカン・スタイル」と呼び、それを知らない人々は「銀電」と呼んだ。

 ステンレス車体のメリットは、ステンレスそのものが錆びにくいため、塗装しなくてもよいということである。電車の塗装は直接車体に色を塗るわけではない。必ずさび止めを塗って塗装しなければならなかった。ステンレス車体の価格は従来の鋼鉄製車体に比べ高いが、長期的に考えると塗料代や人件費を削減でき、元が取れると判断された。以降、30系(0・10番台を除く)に至るまで通勤型電車はステンレス製だ。

 1986年には側面の凸凹ラインが減り、すっきりとした印象となった車両が登場した。その一方で、機器類自体は0番台と変わらず、メンテナンスのしやすさやパーツの融通が利くように配慮されている。

 

更新工事

 上記の通り、50番台(一部車両を除く)は2003年からVVVFインバータ制御化工事が行われた。この更新工事は走行機器の更新がメインとなっているが、大型袖仕切り設置やLED案内表示機の設置も行われている。2004年以降に更新された車両はLCDを搭載。デジタルサイネージ画面も設置されているため、動画広告を流すことが可能となった。

 更新工事は2003年から2006年まで行われた後、簡略化した更新工事が2007年から2011年まで行われた。当初の計画では50番台の全車両を更新する予定だったが、80系の更新計画見直しにより一部車両のみの更新となった。簡略化した更新工事では、大型袖仕切りの代わりに半透明の簡易袖仕切りが設置され、LCDの搭載は見送られた。

(得原支社所属編成は全編成VVVF化。衣昇線系統の一部編成は界磁チョッパのまま)

 更新工事で搭載されたLCDは情報伝送がアナログ方式であり、広告の更新時にコンピュータを接続しなければならない。その手間を嫌って後にコンピュータを接続しなくても更新ができるように改良した。

 ちなみに、2006年までの更新車は内装を白基調の10系に近い仕様に変更したが、簡略化更新工事車は従来通りの濃いクリーム色となっていて更新された車両という感じはほぼない。

 2010年以降は編成組み換えが行われている。この際余剰となった車両は、一部車両を先頭車に改造した「100番台」としていわき線を中心に活躍中だ。100番台はVVVFインバータ化や内装の更新などが行われた車両である。2016年からは座席仕切り部に半透明の防風板が設置されている。

現在

両得本線や古林線への10系、80系導入により、現在は得原支社内が主な運行区間となっている。編成を6両や4両に分割できることから、途中で増結をする運用でも活躍している。

0番台は大きく数を減らしており、2019年内には引退しそうだ。現在0番台は仙豊支社と得原支社管内で活躍している。


※当ページの内容はフィクションです。

当ページ最終更新日 2018年06月24日