津喜モノレールの歴史

津喜市内の道路状況を改善するため

 津喜市は明治以降急激に発展した都市である。そのため、人口の増加に道路の整備が追い付いていなかった。さらに、多くの主要道路は自動車が普及し始める以前からある道であり、どの道も狭かった。狭い道に多くの車が集中し、道路はいつも大渋滞。特に朝ラッシュ時の渋滞はかなりひどいものであり、「歩いて行ったほうが早い」などと揶揄されてしまうものだった。

 そこで、津喜市では1960年代から新交通システムの導入を検討することになった。新交通システムは道路の上または地下に建設することを想定していたが、道路の地下に建設するのは地上の道路状況的に不可能と判断。早々に道路上またはそれ以外の場所に建設するという方針に変更された。

 この新交通システム計画では、津喜市内やその周辺を8の字に走るルートや、津喜市から離れた場所にまで伸ばすルートなど様々検討された。その中で選ばれたのは、津喜市内で建設が進む各団地を経由するルートだった。

 新交通システムのルートに選ばれた団地では、団地の中心を通る道路の幅が広く取られ、一部には中央分離帯が設けられた。この中央分離帯部分に新交通システムの橋げたを設置し、後から用地買収や改修などを行わなくても済むようにした。

懸垂式モノレールが選ばれる

 津喜市の新交通システム計画には「モノレール」や「AGT」などの選択肢があったが、その中でも当時技術的に成熟しており、さらに地元を拠点とする津喜重工業が開発を進めていたモノレールが選ばれた。

 モノレールには、レールにぶら下がって走るタイプとまたがって走るタイプの二種類が存在する。津喜市新交通計画改め津喜モノレール計画で選ばれたのは、道路が狭くても建設しやすいぶら下がって走るタイプのモノレールだった。なお、このタイプのモノレールは津喜重工業が開発していたモノレールと同型のタイプである。

順調に延伸していくが……

 津喜モノレールが開業したのは1988年のことである。そして11年間かけて6回の延伸を繰り返し、1999年に現在の区間がすべて開業した。延伸を繰り返すうちに利用客は増えていったが、この利用客が当初予測よりも少ないことが問題となっていた。

 津喜モノレールの利用客が当初予測よりも少ない理由として、沿線にある団地の入居者数が計画よりも少なかったことや、高い運賃、バスの100円運賃区間などが挙げられる。延伸の費用も莫大であり、2007年時点では赤字だった。

2010年以降

 2008年に黒字化を達成した津喜モノレール。その営業系数は大手鉄道の路線にも匹敵するものであり、沿線の開発が進んだこともあって利用客は増えていった。一方、新型車両の導入(2010年以降)や設備改修、バリアフリー化などにお金がかかり、その資金をねん出しなければならなかった。

 そこで、2012年以降はイベント列車の運行回数を増やした。このイベント列車は通常の車両を用いて行うものであり、「イベント列車用の編成」は存在しない。また、2014年にはイベント列車ではないものの、アニメとのコラボレーションにより実現したラッピング車両を運行。定期外利用客が一カ月あたり3万人程度増えたという。

 順調だった津喜モノレールも、2017年に設備更新費用の増加により今後赤字となることが発覚。これ以降は車体ラッピングを盛んにおこなうようになった。車体ラッピングでは一時期(2017年~2018年3月頃)窓にもラッピングを行う手の込んだデザインの車両が登場していたが、2018年4月以降は窓ラッピングが控えめにされている。とはいえ、ラッピング車増加の勢いが途絶えたわけではなく、現在15編成以上がラッピング車となっている。


※当ページの内容はフィクションです。

当ページ最終更新日 2019年03月02日

当ページ公開開始日 2019年03月02日