NTR富原の客車列車

富原地方では、客車列車が2018年現在も残っている。しかし、その数は多くない。客車列車の大半は、1990年代後半から2000年代にかけて廃止されてしまったからだ。

2018年12月時点で残っている客車運用は、風杜~滝平間を結ぶ長距離快速、滝平~吉見間を結ぶ普通などである。使用される客車は1970年代後半に製造された客車であるが、これらの客車は老朽化が進む。果たして、2019年3月のダイヤ改正以降もこれらの列車が運行されるかというと、正直怪しい。

本州では姿を消した客車普通列車が今も残っているのは、1980年代頃に客車列車を廃止しようとした際、組合側が強く反発したことや、1990年代初め頃に本州で余剰となった客車を大量に購入したなどの経緯がかかわっている。

客車列車は電車や気動車と異なり、機関車がなければ走ることができない。その機関車を運転できる運転士は年々減っているが、それでも本州に比べると多いほうだ。

というのは、富原地方のNTR線は1985年に民営化された。ほかの地方では1987年に鉄道が民営化されたわけだが、富原地方の鉄道民営化は実験的なものであり、貨物も旅客も一体的に運営する形での民営化となったのだ。その後民営化されたエリアでは貨物と旅客を別運営として民営化されたが、このことが客車列車の明暗を分けた。

本州などでは「朝は客車列車、昼は貨物列車として機関車を使用」ということができないことや、そもそも客車列車を廃止するという前提があったことから廃止が進んだ。しかし、富原地方では機関車を旅客用にも貨物用にも兼用できることや、本州以上に組合が強く客車列車廃止に反発したこと、さらに老朽車置き換えに客車を大量購入したことが客車列車を残す要因になった。

 

1990年代初め頃に大量導入された客車は、「一般型」というタイプの客車。普通列車などに用いることを想定していた車両だったが、一部は改造され、特急列車並みの装備を備えて特急として運用されることもあった。また、その大半が非冷房だったことから、全車両に冷房が取り付けられた。

1990年代後半ごろになると、一部客車の老朽化、風杜や滝平、平磯エリアで余剰となった電車の転用による置き換えが始まった。2000年代に入るとそのペースは早まり、まだ置き換えするには早い車両も置き換えられていった。余剰となった車両の一部は海外へ譲渡されている。

2010年代に入ると、客車列車の置き換えはひと段落した。本来ならすべての客車列車を廃止できるだけの予算はあったが、一部の組合が反発したことから、結局南部エリアに限り残された。このころから客車の編成が通年固定となり始め、何かない限り客車が組み替えられることはなくなっている。

2016年には客車特急が廃止。その後も年々ダイヤ改正があるごとに数を減らし、2018年12月現在の運行形態になっている。

 

2018年度も風杜、平磯エリアを中心に多くの電車が導入された。これらの電車は地方に転用されており、また電化も進行している。果たして、2019年ダイヤ改正以降、客車列車は減便されるのか、それとも廃止されてしまうのか……


※当ページの内容はフィクションです。

当ページ最終更新日 2018年12月09日

当ページ公開開始日 2018年12月09日