机上の向こう

胃薬と妥協

 

 怒号を上げる営業部長、同じ部屋にいる全員がその顔を見た。日頃から血気盛んなところがあるが、それにしてもいつも以上にシワを寄せて電話をしていた。

 

 「こっちだってな、この仕事にプライド持ってんだよ!!」

 

 電話の相手は、結急電鉄のダイヤ担当。営業部長は、2023年3月のダイナ変更の内容が気に食わなかった。社会情勢の変化や沿線人口の減少により、結急電鉄の利用客は減少傾向にあり、その分経営も厳しくなっている。故に結急電鉄全体で運行のための予算が削られ、そのしわ寄せが運行本数の減少という形で現れている。営業部長もそこら辺は承知の上で仕事をしているが、そんな事情を乗客は知る由もない。だから、苦情の電話が毎日のようにお客様相談室にかかってくる。

 

 営業部長はお客様相談室に寄せられたご意見を元に、毎年3月に行われるダイヤ変更の原案をダイヤ担当に提出する。特に問題のないところはそのままに、お客様からのご意見があった箇所や、変更が必要な箇所についてまとめ、最適なダイヤが作成できるようにするのだ。

 

 しかし、今回のダイヤ変更においては、必ずしも「最適な」ダイヤ変更とは言い難い部分があったようだ。例えばある路線では運行本数が更に減らされたり、相変わらず乗り継ぎが悪い、あるいは特定の時間帯だけ運行間隔が開くなどの問題点もそのまま。一方で「この電車は正直減便しても問題ないだろう」とダイヤ担当が思った電車は特に変更されず、「混雑する4両編成」と「ガラガラの8両編成」が混在する何とも言えないダイヤとなってしまった。

 

 「俺だってな、予算が年々削られていくのはわかってるよ。でも!!」

 

 例年なら、営業部長も「仕方ない」の一言で済ませるのだが、結急電鉄発足時に何とかして採用させた方針「全ての区間、駅で30分以内に電車が来るようにする」が廃止されてしまったこともあって、随分とイライラしていた。

 

 怒鳴られたダイヤ担当者。各支社より送られてきた草案に目を通し、可能な限り稟議が通るように配慮した。しかし、中には稟議が通らず中途半端な形でのダイヤ変更を余儀なくされた区間もあった。特に経理担当からの目線が厳しく、営業部長と経理担当の両方から怖い目で見られる、結急で一番かわいそうな人間の一人である。

 

 耐えかねたダイヤ担当者は、胃薬を片手に入社一年も経たない新人、春川結衣(はるかわゆい)に仲裁を頼んだ。なぜ春川に依頼が来たかというと、人事部内に新たな部署「社内問題解決課」が新設され、その中で一番笑顔が爽やかだったからだという。

 

 早速営業部長とダイヤ担当のバトルに巻き込まれた春川は、萎縮しつつもダイヤ担当からの依頼を遂行することにした。

 

 「あの……来週の木曜日、高初線の視察を行いませんか??スケジュールは我々人事部の方で調整いたしますので」

 

百聞は一見に如かず

 

 偉い立場の人というのは、なかなか現場に行けない。そもそも現場に関心を持たない人もいれば、可能な限り現場を大事にしたいと思いつつも、体力的な問題でなかなか現場に行けない人もいる。結急の社長は可能な限り現場を大切にしたいという人で、それはいいのだが日々の業務の合間を縫って行ける場所なんて限られている。しかも、結急の路線網は広大であるし、鉄道以外の子会社にも関心を持つ必要がある。

 

 今回視察に向かう高初線は、結急の本社がある津喜県津喜市から特急で1時間ちょっとのところを走る路線だ。海底トンネルを抜けて、仙豊県の岸宮駅から、海沿いを南へと走る。沿線には海岸や温泉などがあり観光客の利用が多い一方、岸宮に近い区間では通勤・通学需要もそれなりにある。しかし、普通電車は需要が多い区間でも一時間1本程度しか走っていない。

「本数を増やして」「前のダイヤに戻して」という意見が多く寄せられる区間の一つだ。

 

 

 津喜から岸宮までは特急で移動したが、岸宮駅からは普通電車で移動してもらう。

 春川はあえて乗り継ぎの悪い時間帯を狙った。

 

 「乗り継ぎ時間は30分です」

 

 営業部長、ダイヤ担当ともに机の上では理解していたが、その30分の長さを改めて思い知らされた。都心部の駅にあるような待合室は設けられていない。ベンチこそあるものの、暇つぶしに買った缶コーヒーを捨てる場所が少ない。ホームからは海がよく見えるが、風が強くベンチで30分過ごすのは少し辛い。

 

 しかめっ面をするダイヤ担当と、暇をもて余し次々やってくる八田山線電車を眺める営業部長。しかし業務時間中ということで気を抜かず、「お、ちゃんと洗車できてるな」などと電車が綺麗かどうか確認していた。営業部長もダイヤ担当も、時折業務用スマホに着信があり、風の音にうんざりしながらも応対していた。

 

 

 しばらくすると電車がやってきた。2両編成ワンマン運転の短い電車だが、発車時間が迫ると座席が埋まる程度には乗客が乗り込んできた。運転席近くの座席に乗り込み、お偉方がいることに運転士が驚きつつも、定刻通り発車した。

 

 岸宮から海発(かいはつ)までの区間は、1991年3月ダイヤ改正から、2023年3月ダイヤ変更までの間、概ね30分間隔で電車が走っていた。沿線は駅周辺を中心に住宅地として開発されているところもある。しかし電車が1時間1本に減便されてしまい、沿線住民からは多くのご意見が寄せられている。また、電車そのものも4両編成から2両編成に短縮され、一部の電車がかなり混雑するようになってしまった。急遽応援で4両編成の電車を走らせるなどして対策しているが、ダイヤ担当に対しては「まともに現場を見ないからこんなことになるんだ」と多くの社員が不満を持っているようである。

 

 海発駅まで来たところで、営業部長、運輸部長、そして海発駅長と春川による面談を行うことになった。

 

苦悩する駅長

 

 結急で最もお客様に近い存在、それは駅員である。駅員の対応一つで、結急のブランドイメージが左右されることもある。とにかく丁寧に、そして笑顔でお客様に接することが求められる。しかし、厳しいご意見を直接頂戴するのもまた駅員で、特に電車が遅れている時は辛い思いもする。ここ最近は人員削減にも悩まされているようだ。人手不足も重なって、お客様にご不便をかけることもある。

 

 「この仕事好きなんだけどね」

 

 海発駅長の三原定治(みはらていじ)。仙豊鉄道時代の1986年に入社し、海発駅長となったのは3年前、2020年のことだった。小さい頃から鉄道が好きで、お客様とも直接関われる駅の仕事に誇りを持ってきた。ただ、最近は減便でお客様から厳しいご意見を頂戴することが増え、かつ予算削減により駅員の数を減らさざるを得ない状況も重なり、メンタル不調である。

 

 「駅員の仕事で一番大事なのは顔だよ。基本笑顔、時には申し訳ない顔でお客様に接する」

 

 とはいえ、なかなか笑顔を実践できない。この前近所の小学生が駅に来たとき、「おじさん怖い」と言われてしまった。先生はヒヤヒヤしていたが、かなり駅長に刺さる発言だったようで、仕事終わりに度数の高いお酒をグイッと飲んだそうだ。

 

 「厳しい状況なのはわかってるけど、せめて雰囲気だけは明るくしてよ。現場の士気にも関わる。本数を戻してほしいのが本音だけど、戻せないなら沿線の皆様と何か交流できるような機会をさ、なんとか頼みます」

 

 今回のダイヤ変更では、特に本数が削減される区間では沿線自治体に事前通達を出した。ただし「これで確定しました」というものであり、自治体からの意見があってもそれが反映されることはなかった。支社長からはダイヤ担当宛に「なんとかなりませんか」と頼まれるのだが、ダイヤは簡単に変えられない。限られた予算、人員。予算を苦労して増やしても、人が足りなかったら元も子もない。とある地方私鉄では安月給故に人手が慢性的に不足しているそうだ。結急も油断はできない。

 

 ダイヤ担当が説明する。

 

 「ワンマン運転や乗務員が乗務する自動運転の導入を推進して、運行本数の維持に努めています」

 

 「人情がない回答だなぁ……」

 

 「って言われても人手不足なんですよ」

 

 「少子化だもんねぇ……この辺りも子供が随分減ったよ」

 

 「正直、新しいシステムを入れるより人を雇った方が短期的に見れば安上がりなこともあります。しかし、この少子化が解決しない限り、鉄道が維持できなくなる」

 

 「いや、鉄道どころか町がなくなるよ。社内でも随分非正規雇用が増えたもんね。春川さん??」

 

 「人事部では、適材適所で正社員と非正規社員の配置を検討しております。ただ、昭和の頃に比べると非正規社員が随分増えたという話は人事部長よりお伺いしております」

 

 「給料上げられないの??」

 

 「最低賃金に基づき一定の基準で決めております。可能な限り給料を増やしたいと考えておりますが、各地域ごとの予算もあって、簡単に事を進められないのです」

 

 「ウチの駅によくできるバイト君がいてさ、正社員にしたいんだけど、そちらの事情もあるもんね」

 

 昔に比べて高くなった「就職」のハードル。この人いいね→採用だとか、ちょっとダメなやつを育てていく教育とか、何十年も前は行われていたらしい。しかし、何もかもが画一的になって、画一的な人材が求められる現代においては、少しでもそうでない人がすぐに弾かれてしまう感じが否めない。

 

 みんな渋い顔をしていた。各々の理想があるわけだが、しかし一人の力だけでそれを実現させるのは難しい。しかも、真逆の考えを持った人と時には激論を交わす必要もある。

 

 そりゃ疲れるよ。

 

海鮮丼

 

 普通列車に揺られて数十分。そろそろ車窓の海にも見飽きる頃だ。水族館の近い初浦駅で下車した。この駅の近くには、漁港と温泉もある。お昼ごはんは、漁港近くのお店で海鮮丼を食べることにした。

 

 「結急電鉄さんにはいつもお世話になっております」

 

 お店の人が言った。初浦には特急も停車し、ある時には沿線のお店が割引になるフリーきっぷも出していた。大きな町ではないのだが、観光資源に恵まれているので、休日になると多くの人がやってくる。

 

 「特急はそれなりに走ってるけど、普通電車が少ないよね。昼間はともかく、学生の多い時間帯とかどうにかならないの??」

 

 朝と夕方に1本だけ、津喜駅まで行く急行電車がやってくるが、あくまで津喜方面への通勤需要を狙った電車だ。初浦駅を定期利用するユーザーは学生が多く、そのほとんどが南の作登(さくのぶ)へと向かう。急行電車とは真逆の方向だ。混雑する時間帯には4両編成が走るが、2両編成の電車の方が多く、時には乗り切れず1時間待ちぼうけする学生もいるようだ。

 

 「本数減らすのは結構だけどさ、学生に優しくダイヤにしてほしいですよ。そうじゃないと町が育たない。外からの人をおもてなしするのも大事ですけど、そのおもてなしする人間がいなくなったら、元も子もないんですよ」

 

 机の上だけでは決して見えてこない情報だった。ダイヤ担当は、直視したくない不都合から目を背けるように、海鮮丼に舌つづみをうった。

 

乗り換えに挑戦

 

 ダイヤを作る際には、駅での乗り継ぎも重視される。鉄道というのは広域的な輸送に適している交通機関なので、結急電鉄の場合、ローカル線の普通列車は始発駅で特急と乗り継ぎしやすいようになっていたり、違う路線に接続する場合、可能なら同じホームで乗り換えられるようにしていたりする。

 

 しかし、違う鉄道会社への乗り継ぎまでは考慮しきれないし、バスへの乗り継ぎとなると、結急グループ内であっても連携しにくいという現実がある。

 

 発浦駅を出た春川たちは、電車とバスを乗り継いで見旗市の開路(かいろ)まで向かう。 ルートとしては、作登で捧詩線、大城で柏寺線、柏寺で仙豊バス、仲山で和泉沢線に乗り換えるというものである。計4回の乗り換え工程にはちょっとうんざりしてしまうが、しかしこのようなルートで観光する人もいると考えられる。仙豊県内の結急電鉄線と結急グループのバスの一部が乗り放題になる切符も使えるルートだ。

 

 途中の柏寺駅までは問題なく乗り継げたが、問題は柏寺駅からのバスだった。

 

 「え、こんだけ??」

 

 

 柏寺駅と仲山駅の間は、地形が険しく鉄道を敷設できなかった。最初の計画では柏寺線と和泉沢線が繋がる予定だったが、これが不可能ということでバスで連絡することになった。長い間電車の本数に合わせて、2000年代前半まで1時間に1本ほどが運行されていたものの、旧仙豊鉄道と旧両得電鉄の統合や、それに伴う分社化が行なわれた頃から減便されるようになった。

 

 現在では、定期便は2時間に1本ほどにまで減らされ、観光シーズンには増便するという形態になっている。しかし、運転士不足が深刻で、4月から更に運行本数を減らした臨時ダイヤで運行されている。この臨時ダイヤが列車との接続を考慮しておらず、駅を降りても5分前に行ってしまったのだ。

 

 「5分くらいまてるだろうに」

 

 誰もがそう言いたくなる時刻表だ。次のバスは17時45分の最終バスだ。

 

 「こんなんじゃ大城に戻って、捧詩線とモノレールを乗り継いで行った方が速いよなあ」

 

 こんなことは春川も承知している。今回のスケジュールを組んだのも春川なのだが、この二時間を有効活用できる秘策を用意していた。

 

 「駅の横にバスの運転手が休憩する場所があるんです。そこでバス運転手から結急電鉄に対する要望を聴いてみようかと」

 

 鉄道とバスの繋がりは深い。バスが駅までお客様を運び、そして駅からは鉄道が運ぶ。お互いに長所と短所を補い合える関係だし、相乗効果は高い。しかも、結急電鉄の前身となる仙豊鉄道や両得電鉄は鉄道とバスのどちらも走らせていた時期があった。

 

 休憩所に入ると、一人の運転手がいた。これから山を超え、海辺の吉浦駅まで向かうバスを運転するのだという。隙間時間の貴重な娯楽はテレビ。

 

 「うーん。今日はあまり面白いのやってないねぇ……」

 そう語りながら、ブラックコーヒーを飲んでいた。

 

 「運転しててもお客様がいないねぇ。運転するのが好きだし、いつも乗ってくれる高校生のためにもこの仕事を続けたいんだけど……」

 

 少し声が詰まった。

 

 「給料がなぁ……いつもの高校生も、もう三年生で来年で卒業。それ以外に定期的に使っている人はいないからなぁ……他の路線もそんなもんよ」

 

 仕事のやりがいは、時に人生の充実度を高めてくれるだろう。しかし、そのやりがいがなくなってしまえば、苦行となることもある。バスをなんとか維持したいと口で語ることは簡単だが、そのためにはいろんなことを犠牲にしなければならない。

 

 「うちの営業所、今年は新入社員0だよ。田舎だからしょうがないけどさ、そういう俺だってもう40代半ば。だけど一番若いの俺なの」

 

 結急電鉄でも人手不足に悩まされている。そのため、駅員の削減から始まり、今ではワンマン運転の推進や、一部の路線では運転すらも自動化しようとしている。業界平均以上の給料で同業他社からの転職者も多いというが、そもそもの人口が減ると、人員の確保が更に困難になる。結急グループ内でも、結急電鉄ほどの財力のないローカルなバス会社においては、数少ない黒字路線すらも減便せざるを得ない状況で、心苦しい思いをしている。柏寺駅周辺の路線を運行する北仙豊バスも同様だ。

 

 「乗る人も、走らせる人もいない。寂しいですよ。人々の気配が遠ざかっていく。赤字とか黒字とか以前に、昔からの営みそのものがもはや風前の灯火なんです」

 

 そんな話をしていると、折り返しの仲山駅行きバスがやってきた。

 

爆睡

 

 17時45分、定刻通りバスは発車した。営業部長とダイヤ担当は疲れて爆睡。春川は夕暮れに染まる山間の景色を見ていた。中型バスでも窮屈な険しい山道沿いに人工物はほとんどない。ただ豊かな大自然のみがある。途中に小さな集落があるが、空き家っぽい家も多く、だいぶ寂れている。コンビニどころか家がほとんどない景色の中を20分くらい進むと、終点の仲山駅に到着する。

 

 「起きてください!!」

 

 おじさん二人が同時に目覚める。この二人が本社で大喧嘩していたなんて想像できない光景だ。営業部長は腰を、ダイヤ担当は肩を痛めており、お互いに「イテぇ」と言いながらバスを降りた。

 

 今回は仲山駅で解散となり、最後に一日を振り返ることにした。

 

 営業部長は「厳しい現実を受け止めつつ、可能な限りお客様に応えていきたい」、運輸部長は「数字だけに囚われず、様々なご意見や要望を反映したサービスを立案していきたい」と振り返った。春川は最後に「もう怒鳴りあいしないことを約束できますか??」と二人に釘をさし、こうして一日が終わった。

 

後日談

 

 2023年10月14日ダイヤ改正。遠山原線遠山原特急線において電車の増発が行われた。最近のダイヤ改正は、とにかく「減便」が目立つものが多かったのだが、それ故に多くのご意見が寄せられた。

 

 営業部長は小野原市からの要望に答えるため、小野原経由の高速急行を新設した。加えて、ダイヤ担当は茨原鉄道に直通し、古林経由で富街空港に行く電車の新設を提案。経理部長が苦い顔をしていたが、二人共に丁寧に説得して稟議を通した。

 

 本社内の雰囲気も、二人が喧嘩しなくなってからは良くなったという。

 

 しかし、まだまだ結急電鉄の全ての問題を解決できていない。春川は別の仕事に取り組んでいた。

 


※当ページの内容はフィクションです※

当ページ最終更新日 2023年11月15日

当ページ公開開始日 2023年10月21日