稲穂急行電鉄

概要

 稲穂急行電鉄(いなほきゅうこうでんてつ)は、西倉県柏村市の橋駅(はしえき)から、みつ市のみつ港駅(みつみなとえき)及び、神崎駅(かんざきえき)までを結ぶ私鉄です。

 この私鉄が走る稲穂エリアは、西倉県の南東部に位置していますが、県庁所在地の西倉とは距離があるため交流が少なく、独自の文化がある地域です。江戸時代には長崎と同じく、「潜伏キリシタン」によりキリスト教の信仰が継承され、キリスト教解禁後には多くの教会が建てられました。

 1853年には稲穂港に黒船が来航。上陸こそしませんでしたが、歴史に残る出来事となりました。開国されると太平洋への玄関口として栄えることとなり、海外の文化も流入してきました。稲穂急行電鉄の車体は赤色に塗られていますが、これも「海外」すなわちアメリカの影響を受けています。アメリカで走っていた電車が赤色だったので、これを稲穂急行電鉄の車両にも取り入れたのです。

 現在の稲穂エリアは、主に工業、漁業、農業で栄えています。稲穂市には富原地方を地盤とする小櫃(おびつ)自動車の工場があるほか、沿線からは少し離れますが造船所もあり、これらの関連工場も点在しています。また、鉄道車両を製造する稲穂システム(旧稲穂造船)の工場もあり、稲穂急行電鉄の車両はすべて稲穂システム(または旧稲穂造船)製の車体となっています。

 一方で柏村市は農業が盛んで、お米や養豚、養鶏が盛んに行われているようです。海の幸、山の幸のどちらにも恵まれた場所であることから、食文化も発展しています。特に知られているのは、フランス人宣教師によって伝えられたという「ブレゼ煮」です。厚切りの豚肉を、キャベツやじゃがいもなどと共に弱火で蒸すもので、野菜の水分も活用することにより旨味が凝縮されます。地元の人は「ブレゼ煮」と言いますが、フランス料理の「ブレゼ」と同じものです。

 柏村市街と稲穂市街は20kmほど離れており、その中間地点である稲穂市深入地区(旧深入市)には漁港があります。深入漁港ではカツオの水揚げ量が多く、カツオを使った料理が至るところで提供されているようです。1926年には稲穂市街のレストランで「カツオのステーキ」が提供されるようになり、生魚を食べる習慣がなかった海外の人にも受け入れられたようです。

路線と車両

橋駅-稲穂駅

 橋駅(はしえき)は1面2線の頭端式構造となっており、駅舎は近くの川に面した向きとなっています。1915年の橋駅-稲穂駅間開通時からの駅舎をそのまま使っており、西倉県の文化財にも指定されています。一方で設備のアップグレードはきちんと行われており、ICカード(2007年導入)対応の改札機が設置されていたり、液晶モニターによる列車時刻案内・運行情報案内が行われていたりします。

 柏村市の中心部にある柏村中央駅(かしむらちゅうおうえき)は、2面2線相対式の当鉄道としては標準的な構造ですが、5階建ての駅ビルが隣接している重要な駅です。駅ビルは1968年に完成し、当時は稲穂急行電鉄直営の「稲急百貨店」が入居していました。屋上に遊園地、5階にレストラン、4階が紳士服、3階が婦人服、2階が雑貨、1階が食料品売り場となっていたようです。しかし、稲穂駅周辺の稲穂越後や稲穂ちきりとの競争に敗れ、百貨店としては2001年に閉店しています。現在の柏村中央駅ビルは、1階にコンビニ、2階と3階に柏村市役所の分所、4階が学習塾、5階がカラオケ店となっています。

 柏村市街は稲穂市街に比べると範囲が狭いため、柏村中央駅を出て2駅目あたりからのどかな景色が広がるようになります。稲穂市街手前の山手駅(やまてえき)付近まで、丘陵・山岳地帯を走るためアップダウンの激しい区間となります。沿線の人口はさほど多くないものの、柏村と稲穂という2都市間を連絡する役割を担っていることから、橋駅-剣持駅間では普通車15分間隔、急行30分間隔で電車が走っています。

 橋駅から稲穂駅までの所要時間は、普通車で30分、急行で25分です。急行は橋を出ると柏村中央、草道、石井、深堀に停車します。途中の草道と深掘には待避設備があるため、この駅で普通車との接続を行うこともあります。可能な限り所要時間を短縮するため、運転士には巧みな加速、ブレーキ調整テクニックが求められます。

 石井駅(いしいえき)は旧深入市内の駅です。駅の周辺は1970年代に住宅地として開発され、ラッシュ時になると多くの通勤・通学客で賑わいます。近くには東富原自動車道の石井インターチェンジもあり、車でもおでかけしやすい場所です。また、石井駅と深入駅方面を結ぶ路線バスも運行されており、概ね15分前後の間隔(電車との接続を考慮しているため、若干ばらつきがある)で走っています。

 稲穂駅手前の山手駅で丘陵・山岳区間が終了し、平坦な区間へと入ります。山手駅の近くには、フランス人宣教師による設計で建てられた天主堂があり、稲穂を象徴する建物のひとつとして知られています。駅周辺は住宅地となっており、川の向こうには稲穂市街の建物も見えます。

 NR南東本線、稲穂高速線を横目に橋を渡ると、程なくして稲穂駅(いなほえき)に到着します。稲穂駅周辺は柏村駅よりも栄えており、百貨店の稲穂越後のほか、稲穂システムの本社ビルなどもあります。また、駅から10分ほど歩くと中華街もあり、様々な文化が入り交じっているのも稲穂の魅力の一つです。

 さて、稲穂市民には「お互いに必要以上に干渉しない」という考えの人が多いようです。古くから様々な信仰・ルーツを持つ人々が共に暮らしてきたため、トラブルを避けるためにこのような考え方の人が多いとのこと。また、相手の価値観と自分の価値観が(様々な要因により)大きく異なる場合も多く、異なる価値観の人ともそれなりにやっていける人が多いという話もあります。

稲穂駅-みつ港駅

 稲穂駅は2面3線の島式構造となっています。中央の線路は両側のホームから乗り降りできるようになっており、主に神崎駅から来た電車が折り返すために使われています。また、駅を跨ぐようにして大きな商業施設「稲穂てらす」があり、ライバルの稲穂越後やリヒトモール(神崎線桶屋駅が最寄り)に対抗しています。若者向けのテナントを増やし、まだ車を持たない学生のほか、ファミリー層をターゲットとしています。

 稲穂駅から剣持駅(けんもちえき)までの間は、みつ港方面と神崎方面の電車が同じ線路を走ります。そのため、この区間に限り普通車7分30秒間隔、急行15分間隔での運行となっています。特に人口が集中している地域を走ることから利用客も多く、駅の周辺にはマンションも建っています。

 剣持駅は神崎方面との分岐点であり、車両基地も隣接しています。2面4線構造となっており、北側のホームが神崎方面、南側のホームがみつ港方面です。

 丘陵地帯の香焼駅(こうしょうえき)近くには稲穂空港があります。丘陵地帯を切り開いて建設されたこの空港は、永京空港、神場(我妻)空港などへの路線が就航しています。稲穂市街へ向かう直通バスが走っていますが、新たなアクセス手段として当路線を空港へ伸ばすことが決まり、2024年3月に開通する予定です。

 光駅(みつえき)でNR線と交差すると、程なくして終点のみつ港駅に到着します。みつ港は稲穂港に次ぐ重要な港として機能していましたが、現在は定期航路の発着がなくなり閑散としています。一方で港の近くにある水族館は、太平洋を一望できるその立地の良さもあって大人気。稲穂急行電鉄線内乗り放題のフリー切符を提示すると、料金が割り引かれるサービスもあるようです。

剣持駅-神崎駅

 剣持駅から神崎駅までは「神崎線」という路線です。1928年に開通し、みつ港よりも北にある神崎と稲穂市街を結んでいます。途中の桶屋駅(おけやえき)近くには小櫃自動車の工場があるほか、2011年にはリヒトモール稲穂もオープンしました。途中の夫婦川駅(ふうふがわえき)までの沿線は住宅密集地となっていますが、夫婦川駅を出ると地形が険しくなることもあって、のどかな景色が広がるようになります。

 終点の神崎駅(かんざきえき)はNR北光本線に接続している駅です。

車両

8000形

 2013年に登場した車両です。利用客が増加する一方で、用地買収の都合により複線化が出来ていない神崎線の混雑緩和を目的に開発されました。

 それまでの車両は2両編成を基本としていましたが、中間に先頭車が入ることにより無駄なスペース(乗務員室)が生じていました。無駄なスペースを客用スペースに転用しつつ、それまで通り抜けできなかった2号車と3号車の間を通り抜け可能としたことにより、定員を増加させることができました。

 2013年度に4連1本、2014年度に4連2本が導入されましたが、4両編成だと昼間はガラガラになってしまうということで、2019年度には2両編成も登場しています。

 2両編成バージョンは、前面に貫通扉を設けることにより、2編成連結時に通り抜けができるようにしました。

7000形

 2003年に登場した車両です。6000形の設計を受け継ぎつつも、サービスアップのため転換クロスシートを採用しました。急行専用車であるため、6000形の一部に塗られていた急行専用塗装が受け継がれました。

 なお、運用の都合により一日数本のみ、普通車に充当されることがあります。

6000形

 1993年、3000形の一部車両で試験を行っていたVVVFインバータ制御を本格採用して登場しました。

 車体がアルミ製となったことで軽量化され、モーターのパワーが増したことも相まって「キビキビとした走り」が実現しました。1998年の急行スピードアップの際には、原則としてこの車両が急行に充当されるようになり、一部の車両は急行専用塗装となっていました。

5000形

 1979年、稲穂急行電鉄のイメージアップのために登場した車両です。走行機器は3000形と同じものを引き続き採用しましたが、窓を大きくしたほか、インテリアデザインも明るいものに変更しました。

3000形

 1965年に登場した車両です。従来の車両よりもパワーがあり、車体も大きいことからラッシュ時に重宝されました。編成は2両編成を基本としていますが、混雑時には4両編成として走ることも可能です。


※当ページの内容はフィクションです※

当ページ最終更新日 2023年09月15日

当ページ公開開始日 2023年09月15日