永京東西電鉄5000系

 5000系は、永京東西電鉄時代の1963年に登場したステンレス車体の車両です。基本的な寸法は先に登場した3000形と同じく、幅2,800mm、長さ18mの3ドア車体となっていますが、アメリカの技術を用いたステンレス車体とすることで、錆びに強く長持ちし、頑丈な構造となりました。

 2011年に引退してしまいましたが、現在の永越遠山原線(上谷駅-赤増駅)結急遠山原線(上谷駅-古林駅)及び津喜線(高谷駅-三城駅)で運行されていました。

 最初は4両編成として登場しましたが、1965年には増結用の2両編成も登場。1968年になるとホームの延長工事が完了し、8両編成としても走るようになりました。

 1968年からは冷房装置の搭載が開始され、1975年からは冷房装置を4基分散式から1基集中式に変更した車両が登場しています。

 1986年になると、連結器の交換工事が行われました。これは直通運転を行っている両得電鉄(当時)の車両と、非常時などに連結できるようにするための工事でした。工事が完了した車両は、前面にオレンジ色の帯が追加されています。

 オレンジ帯が追加された編成が増えてきた1988年には、10両編成での運行も開始されたほか、最終増備車も導入され、5000系全盛期となりました。

 1993年には後継車両の6000系が登場しました。この6000系は、車体を5000系よりも長い20mとし、ドアの数も片側4箇所に増やしました。その寸法は乗り入れ先の両得電鉄(当時)と同じであり、また湾岸線(2000年開業)への入線にも対応しています。

 5000系は車体こそ長持ちする頑丈な構造ですが、車体そのものの長さが両得電鉄の車両よりも短く、ドアの数や位置も異なることから乗車位置の違いによる混乱が起きていました。また、湾岸線にそのままでは入れないという事情もあり、1993年から順次車両の置き換えが進められていきました。

 そのまま廃車するはもったいないということで、地方私鉄への譲渡も進められました。本州では長野、石川、静岡、南では鳥豊地方、富原地方の私鉄に譲渡されたそうです。


※当ページの内容はフィクションです※

当ページ最終更新日 2023年08月27日

当ページ公開開始日 2023年08月27日