津電線

※2024年3月16日、幕沼駅~両得幕沼駅間が延伸開通予定です。

 結急津電線は、幕沼駅からスポーツセンター駅までを結ぶ路線です。路線名となっている「津電」は、2016年11月までこの路線を運営していた「津喜電鉄」の略称にちなんでいます。現在は両得電鉄を経て結急電鉄の路線となりましたが、今でも案内表記に「津電」という略称を用いています。

 始発駅の幕沼駅はNR両武線の東側にあるビルと一体になっています。ビルの二階にあるホームは、5両編成まで対応している1面2線のホームで、頭端式となっています。今はすべての電車が4両であることから、スポーツセンター方の1両分には柵がもうけられています。

 津電の沿線は住宅地がほとんどです。有名な観光スポットがないことから他の地域の人にはあまり馴染みのない路線ではありますが、沿線には花見川団地やさつきケ丘団地などの大きな団地があり、沿線の人々の足として親しまれています。ラッシュ時は幕沼方面が混雑しますが、スポーツセンター方面へ向かう利用も多く、朝のスポーツセンター駅ではモノレールに乗り換えていく人が多く見られます。その他、純丘で津喜東西線に乗り換える人もいます。

 多くの駅が相対式ホームの2面2線構造で、構内踏み切りが残る駅がほとんどです。一方で他の路線と接続する駅は橋上駅舎になっているところがほとんどです。真影駅もかつては構内踏み切りのある「私鉄らしい」駅でしたが、2009年に津喜モノレールがこの駅まで延伸した際に新しい橋上駅舎となりました。

 路線のほとんどが地上区間となっている津電線ですが、純丘~スポーツセンター間は高架区間となっています。終点のスポーツセンター駅は、国道16号線を挟んで向こう側に津喜モノレールの駅があります。津電の駅とモノレールの駅は、屋根の付いている歩道橋で結ばれており、雨の日でも快適に乗り換えることができます。 

 津電線の前身となった鉄道連隊演習線もこの近くをかつて通っていました。演習線はここからモノレールの線路沿いを経由して、津喜公園方面へと伸びていたのです。

 電車は昼は7分30秒、朝は最短で5分間隔で運行されています。電車はすべて4両編成で、紺色の10系200番台または80系200番台で運行されています。

History

 津電線の前身となる「津喜電鉄」が開業したのは、1947年のことでした。第二次世界大戦から間もない時期に開業したのには理由があり、それは津喜電鉄の路線が旧陸軍の鉄道演習線跡を活用して敷設されたからです。津喜県内にあった鉄道演習線は、常盤本線椿菜を起点として鎌原大仏、矢尾を経由し幕沼付近へと続き、さらに津電線のルートとなる真影、中沼を経由して街道宿へと至るものでした。このうち椿菜から矢尾までの区間は京香電鉄に引き取られ、「新京香線」となっています。 

 津喜電鉄は両武本線幕沼駅から街道宿駅へと至る区間を旅客線化することとなり、1947年に幕沼~中沼、1948年に中沼~街道宿間を開業させています。 

 旅客線化の際は国や当時の進駐軍などとの調整が大変だったようで、当初は「軍事設備を復活させるのはけしからん」ということで許可が下りませんでした。特に起点の幕沼と当時の終点、街道宿付近には旧陸軍の施設が多数あり、新京香線以上に交渉が難航したようです。津喜電鉄単体での交渉は限界で、津喜電鉄の設立に関わった大手不動産会社も交渉に協力しました。 

 津喜電鉄は地元住民と大手不動産会社により設立されました。そのような経緯もあり、開業後は幕沼や中沼などを中心に住宅開発が進められていきます。また、両得津古線と接続する中沼駅周辺には電機メーカーの工場を誘致させ、両武本線幕沼駅方面からの通勤需要を獲得しました。さらに幕沼には「津電デパート」を建設。津喜にある両得百貨店などと比べると小規模ではありますが、上層階にレストラン、屋上には遊園地がある立派なデパートでした。 

 1950年代以降になると沿線で大規模団地が次々と建設されていきます。電機メーカーの工場を誘致した頃から混雑対策に追われていた津喜電鉄ですが、その混雑は日に日に悪化。いろいろな鉄道会社からかき集めた古くて短い電車で、いかに多くの乗客を運べるか日々試行錯誤していました。しかし、いくら知恵を絞っても車両を増やさなければ増発ができません。 

 1957年、初の自社発注車「1000系」が登場しました。車体の横幅は既存の車両と同じ2.6mですが、長さを18mに伸ばして定員を増やしています。この1000系は4両編成となっており、ラッシュ時には大活躍したそうです。 

 1965年には車体幅を2.8m、長さを20mに伸ばした大型高性能車両、2000系が登場します。この2000系は国鉄両武本線や両得電鉄などへの直通を想定して設計されており、ドアの数は1000系の3カ所から4カ所に増やされています。なお、車体が大きくなったことから、1963年から1965年にかけて、駅や車両基地などの設備が改修されました。 

 1967年には2000系の4両編成でも非常に混雑することから、2000系の増結用車両が導入されました。この増結用車両は1両編成で走れるようになっており、「4ドア1両」という珍しい形態の車両として鉄道好きには知られています。また、1000系に古い車両を1両、無理矢理連結した編成も登場しています。 

 その後はオイルショックによる混雑(自動車通勤から電車通勤に切り替える人が増加)に悩まされつつも、2000系を増備することで混雑に対応してきましたが、そのような状況が大きく変わるできごとがありました。 

 1978年、津喜電鉄の沿線に新しい路線、津喜急行電鉄が開業しました。この路線が開業したことにより、中沼~街道宿間は廃止され、津喜急行電鉄に乗り入れて街道宿に向かうようになりましたが、それ以上に影響があったのは旅客流動です。 

 幕沼から中沼に向かう場合、津喜電鉄なら乗り換えずにそのまま行けますが、普通電車しかなくカーブもあることから時間がかかります。一方、津喜急行電鉄線経由なら、検見浜駅で乗り換える必要がありますが、駅数が少なく所要時間が短いのです。 

 運賃は津喜急行電鉄経由の方が高かったのですが、所要時間が短く津電より空いていることから、中沼の工場に行く人の多くは津喜急行電鉄を使うようになりました。このことから津喜電鉄線内の混雑も若干緩和され、ラッシュ時の5両運転は1980年に廃止以降はすべて4両編成で運転されるようになりました。 

 1980年代は沿線の開発がさらに進み利用客数が再び増えていきました。また、1981年には全線複線化され電車の増発が可能となり、1986年には増発のための新型車両も登場しました。この新型車両「3000系」は、津喜電機が開発していたVVVFインバータ制御装置を初めて実用化した車両です。 

 当時のVVVFインバータ制御は黎明期ということもあり、非常に高価で故障するリスクも大きかったのですが、実績が欲しかった津喜電機は制御装置の費用を負担しました。こうして大手の両得電鉄よりも先に津喜電鉄でVVVFインバータ制御車が登場したのです。 

 1991年は純丘~スポーツセンター間の新線が開業し、スポーツセンター駅で津喜方面へ向かうモノレールに接続するようになりました。その一方で純丘~中沼間は廃止され、津喜急行電鉄(当時)への直通乗り入れは廃止されました。 

 2014年、津喜県などの方針により2016年に津喜電鉄と両得電鉄を統合することが発表されました。そして2016年12月に津喜電鉄は両得電鉄と統合し、「両得電鉄津電支社」となりました。この際車両形式名の変更が行われており、3000系は「80系3000番台」、5000系は「10系5000番台」に変更されています。

車両

片道18分

折り返し5分 

朝最大12本 12運用 予備3本 

10系5000番台 4連10本

80系3000番台 4連5本

2000系(引退済み) 4連11本

(30系) 4連1本

保安装置CBTC 車掌乗務

過去の車両

30系0番台(1編成のみ在籍)

2020年11月22日(日)運用離脱。仁江車両センターに転属(その後福増総合車両センター所属に)。


※当ページの内容はフィクションです。

当ページ最終更新日 2023年12月24日